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第1話はコチラ

【第一章:クルマ貧乏の日常】
クルマ貧乏の底辺代表みたいな俺は、今日も仕事終わりにいつもの聖地へ向かっていた。
キンブル。愛知県民にはちょっと有名な、とにかく何でも安く手に入る激安リサイクルショップだ。
職場の弥富の倉庫を出て、夜の国道1号線をシビックで走りながら、財布の中の軽さにため息をついた。
俺の愛機は赤いシビックタイプR。
タービン以外フルでいじって450馬力。
でも、コイツを維持するために俺の生活はいつもカツカツだ。
部屋の冷蔵庫は空っぽ。
コンビニ弁当だって高級品に思える。
外食なんて月に一度行けたら御の字。
それでも後悔はない。
毎月の給料がそのままシビックのガソリン代とパーツ代に溶けていくたび、俺は胸の奥で小さくガッツポーズをしている。
「いいんだ、全部シビックのためだ。」
今夜も俺はいつものキンブルに到着した。
駐車場に停めた赤いシビックは、外の街灯の下で妙に浮かれて見えた。
「お前のせいで俺は今週も生活苦だぞ……。」
小声で文句を言いながらも、運転席のドアを閉める手には力がこもっていた。
ドアをくぐると、キンブル独特の雰囲気がする。
目当てはもちろん、期限間近の値引きされたカップ麺。
そして、たまに見つかる謎メーカーの激安食品。
キンブルは、外国人が多く異国情緒さえも感じる。
カゴに山盛りの激安カップ麺を入れたおっさんが、俺と同じように「安けりゃいいんだ」と目が語っている。
冷蔵コーナーで、たった30円の缶コーヒーを2個手に取る。
レジへ向かいながら、ふとスマホを開くと、タイヤの納品連絡が入っていた。
(ついに……。)
1ヶ月前に清水の舞台から飛び降りるつもりで注文したミシュラン・パイロットスポーツ4S。
走り屋が雨の日でも安心して踏める。
ドライだって負けない。
どこの峠でも自信を持てる。
俺にとっては、最高の武器であり、最高のステータスだ。
カップ麺や缶コーヒーと一緒に袋に入ったレシートを握りしめて、シビックに戻る。
帰り道、駐車場でエンジンをかける。
マフラーから漏れる低い排気音が、俺の心を少しだけ救ってくれる。
「明日、試すぞ。」
シビックのメーターを見つめると、ガソリン残量がギリギリを指していた。
(大丈夫。タイヤを換えれば、少しくらい燃費が上がるはずだ……。スポーツタイヤだけど。)
財布の中身は残り数百円。
でも、タイヤだけは妥協しなかった。
「全部、お前にかけてるんだ。」
赤いボディに映り込んだキンブルの看板が、今夜は少し誇らしく見えた。
帰り道、シビックのアクセルをそっと踏む。
【第二章:インスタの誘い】
翌日の昼前。
仕事が休みの俺は愛知県江南市へと向かった。
テレコムナンバーワンの前を通過した。
赤ちゃんだった頃の俺はテレコムナンバーワンのCMを見ると笑っていたらしい。
ショップに着き、俺の赤いシビックはリフトの上で、4本の足を外されていた。
隣には白い日産フェアレディZ Z34が着地した。
蒼井さんのフェアレディZの先代モデルだ。
どうやらマフラーを交換したらしい。
HKSのスーパーサウンドマスターから発せられる自然吸気のV6エンジンは快音だ。
ピットに置かれた新しいミシュランのタイヤ。青と白のシールが貼られたままのトレッドが、蛍光灯に照らされて眩しく見えた。
(お前で走るんだ。)
ショップの若いメカニックが笑いながら言った。
「倉田さん、これで峠も雨もバッチリすね!パイロットスポーツ4S、間違いないっすよ。」
俺は「だよな」と返しながらも、実際は心の中で何度も何度も頷いていた。
バランス取りが終わったタイヤを履いてシビックがゆっくりとリフトから降りる。
「……おかえり。」
ボディに手を当てて小声で呟くと、なんだか少しだけ気が引き締まった。
茶封筒から代金を支払いショップの外に出ると、ミシュランの刻印が青空に映えていた。
少しの時間を使って、珍しく名二環で帰る。
新品のタイヤはまだ硬くて、路面の感触がダイレクトにハンドルへ伝わる。
(慣らしは丁寧に、でも早く終わらせる。)
いつもより回転数を抑えて、ギアをひとつ高めに繋ぐ。
ステアリングの中の震えが、新品タイヤの命を感じさせた。
シビックの足元が、少しだけ誇らしそうに見えた。
夜、自宅前の駐車場。
まだエンジンが温かいうちに、しゃがみ込んでタイヤを眺める。
路面の砂を少しだけ噛んだトレッドの模様が、妙に美しかった。
手で触れると、新品のゴムの匂いがほんのり残っている。
「お前が俺の命だ。」
スマホを取り出して、何枚か写真を撮った。
自慢するため、インスタを開いて、いつもは誰も見てないであろうアカウントに “#新しい足回り #パイロットスポーツ4S”とだけタグをつけて投稿する。
投稿して数秒後、スマホが鳴った。
(……え?)
画面に通知がひとつ。
蒼井さんからDMが届き、思わず声が漏れた。
「……マジか。」
通知をタップする指が震える。
DMには、たった一行だけ。
『今夜、鈴鹿峠を走りませんか?』
冗談だろ、と思った。
だけど何度見ても現実だった。
蒼井さんが、俺を誘っている。
そして、今夜だ。
タイヤを買ったばかりのこのタイミングで、蒼井さんと再戦できる。
心臓がシートベルトで縛られているみたいにバクバク言ってる。
震える指で返事を打つ。
『行きます。集合場所と時間、教えてください』
すぐに返信が届いた。
『午前0時、道の駅関宿で待っています』
(関宿……どこだ?)
スマホの地図を開くと、三重県亀山市の文字が画面に浮かんだ。
鈴鹿スカイラインから距離が離れている。
疑問が頭をよぎる。
でも、疑問なんてどうでもよかった。
新品のパイロットスポーツ4S。
そして、蒼井さんの青いZ。
この組み合わせで走れるなら、どこだっていい。
「行くしかないだろ……!」
俺は立ち上がり、タイヤのサイドウォールをポンと叩いた。
夜の空気が、少しだけ熱くなった気がした。
【第三章:道の駅、関宿】
シビックのボンネットを開け、オイル量を確認し、ブレーキフルードを点検する。
ミシュラン・パイロットスポーツ4Sは新品でも、それを活かすのは俺の整備と腕だ。
「よし……異常なし。」
工具箱を片付けて、ボンネットを閉める音が夜気に響く。
自分のクルマに触れていると、時間の流れが分からなくなる。
時計を見れば、もう夜の8時を過ぎていた。
(……関宿までは、下道で1時間半か。)
高速代をケチるのはいつものことだが、今日は理由が違う。
夜の国道を走りながら、新品タイヤの感触を一つひとつ確かめたい。
真新しいトレッドに月明かりが滲む。
「頼むぞ、お前。」
キンブルで買った缶コーヒーを置き、シートベルトを締めた。
国道1号線を南へ。夜の街灯が途切れると、真っ黒な山影がフロントガラスを覆ってくる。
深夜の下道は、走るたびに少しずつ違う。
いつもは退屈に思えるこの道が、今日は心地よい。
頭の中は、あのZのことだけで埋まっていた。
「……勝つ。」
思わず口に出して笑った。
集合時間の1時間前、俺は道の駅関宿に着いた。
駐車場には、数台の乗用車と、建物の明かりがぽつりと光っている。
クルマを停めてエンジンを切ると、シビックの熱が夜の空気に滲んでいくのが分かる。
助手席のドアを開け、キンブル買った缶コーヒーを手に取る。
しゃがみこんで、フロントの左タイヤを指でなぞる。
黒々とした溝の間に小石が一粒、新品の証みたいに埋まっていた。
(俺にとって、この黒いゴムの塊がすべてだ。)
指先を離して、空を仰ぐ。
雲ひとつない。このまま雨なんか降らないでくれと願った。
ゴクッと缶コーヒーを飲み干す頃、遠くから低く重たい音が聞こえてきた。
(……来た。)
青いZのライトが、ゆっくりと道の駅の入り口に現れる。
あの音だ。
あのV6の咆哮が、また胸を叩く。
青のボディが月の下で光り、Zが隣に滑り込む。
運転席のドアが開いて、蒼井さんが降り立った。
「待った?」
小さく笑って、俺の前でしゃがんだ。
「何見てたの?」
俺はちょっとだけ誇らしげに、タイヤのミシュランマンを指さして自慢した。
蒼井さんがクスッと笑った。
「頼もしいじゃない。」
彼女の髪が風に揺れて、Zの青がそのまま彼女の瞳に映った気がした。
俺はそっと立ち上がった。
(もう迷わない。行くしかない。)
【第四章:鈴鹿峠の夜】
午前0時を少し過ぎた。
道の駅関宿の駐車場から、赤いシビックと青いフェアレディZがゆっくりと国道1号線へと滑り出す。
誰もいない深夜の国道1号線。
コンビニの灯りなどなく、街灯に照らされたアスファルトの上に2台のテールランプだけが滲んでいた。
びっくりやを通過する。界隈では知られた年季の入った焼肉屋だ。
(鈴鹿峠が国道1号線なんて知らなかった。ついで鈴鹿スカイラインが武平峠というのも今日知った。)
助手席の窓を少し開けて、前を走るZのリアを見つめながら呟く。
「鈴鹿峠って言っても、スカイラインじゃないのよ。国道1号線の三重県と滋賀県境よ」
出発前に助手席越しに見えた横顔が、どこかいたずらっぽく笑っていたことを思い出す。
(やっぱり、この人に勝ちたい。)
Zのマフラーから漏れるV6の脈動音が、シビックのVTECターボに静かに挑みかかる。
アクセルを少しだけ煽る。
それに呼応して、Zも小さくエンジンを吹かす。
街灯に照らされて並んだ2台のフロント。
青と赤。
深夜の国道にだけ許された色の対話。
数分後、沓掛交差点が近づいてきた。
この鈴鹿峠と名のつく国道で、走りの全てが試される。
ミシュラン・パイロットスポーツ4Sは、路面を噛む音まで静かに教えてくれる。
ハンドルを握る指先に汗が滲んだ。
交差点の赤信号で、Zとシビックが横並びになる。
「先にトンネルを抜けた方が勝ち。いい?」
蒼井さんが小さく笑って、夜の空気に声を溶かした。
「……おう。」
洋三はそれだけ答えた。
赤信号が青に変わる。
ローンチスタート。
一気にクラッチを繋ぐ音と、タイヤが一瞬だけ路面を滑る音が重なる。
ZのV6が吠えた。
シビックのターボが息を飲む。
国道1号線、深夜0時過ぎ。
2台の獣が、トンネルの向こうに向かって一気に駆け出した。
ミシュランのグリップが、路面を噛む感触が、鼓動より速く胸に響いていた。
「……絶対に負けねぇ!」
リアミラーの中で、Zのライトが一瞬揺れて、また追いついてくる。
シフトを2速、3速と繋ぐたび、VTECが夜を切り裂いた。
沓掛の先、鈴鹿峠へ。コーナーの先にある直線が、赤と青をさらに加速させる。
もうすぐだ。
勝負のゴール、トンネルが迫ってくる。
【第五章:勝利の証と、次なる鈴鹿】
沓掛交差点を越えてから、国道1号線は緩やかに勾配を上げていく。
国道1号線は、鈴鹿スカイライン以上の速度で走れる。
なぜなら鈴鹿峠は片側2車線なので、バトルするのにちょうどいい。
そして、比較的コーナーが緩やかである。
注意ポイントは橋の繋ぎ目が多いことだ。
パイロットスポーツ4sが地面をしっかりと食ってグリップしてくれる。
ウェット路面で真価を発揮するが、もちろん今日みたいなドライ路面でもグリップ力は良い。
隣のZも、すぐそこだ。
ミラーの中じゃなく、横一線の視界に青いボディがいる。
(負けねぇぜ……!)
コーナーがひとつ、またひとつ。
Zはアウトから滑らかにラインを取ってくる。だけど、コーナーの立ち上がりだけはシビックのVTECターボが勝つ。
ニュルブルクリンクFF最速の名は伊達じゃない。
「踏めぇぇぇ……食えぇぇぇ……!」
新品のパイロットスポーツ4Sが、
まるで路面に爪を立てるみたいに
グリップを刻んだ。
深夜の暗いアスファルトを、黒いトレッドが引っ掻き回す。
横でZのV6が咆哮を重ねる。
マフラーの抜ける音が、ターボの息吹に重なって響いた。
ギアを3速に入れた。
(ここだ……!)
緩やかな左コーナーで、洋三はイン側に飛び込んだ。
Zのリアが一瞬だけブレーキランプを点滅させた。
「もらった……!」
ステアリングを切り返す。
赤いシビックが、青いZの前に半車身分だけ躍り出た。
──その瞬間、闇を貫くオレンジの光。
前方にトンネルの入り口が現れた。
夜の国道を照らすヘッドライトが
天井のコンクリートに反射する。
息を呑んだ。
タコメーターはまだ回せる。
ブースト計の針が跳ね上がる。
パイロットスポーツ4Sが路面を蹴り、赤いシビックがトンネルの闇に吸い込まれた。
Zのライトが、ミラーの中で小さくなる。
「……勝った……!」俺は蒼井さんに勝てたのだ。
ハンドルを握る指先に力が入ったまま、短く息を吐いた。
勝負を終えた俺たちはゆっくりと国道1号線を走る。
左側に道の駅あいの土山があるが、改造工事中だ。
その向かいの右側にある田村神社の隣にあるグラウンド前の駐車場にシビックを停める。
「今日は負けたわ。コソ練してたでしょ。腕あげたね」
膨れっ面が可愛らしい蒼井さんに褒められてなんだか嬉しい。
「次は負けないから。」
蒼井さんがそう言って、Zのテールランプが少しだけ揺れた。
二人でベンチに腰掛け、2台のクルマを眺める。無言の空気が張り詰めるが、この時間が心地よい。
この時、俺は蒼井さんのことが好きだと確信した。しかし、蒼井さんは俺に興味がなさそうだ。
そんなことを思っていると突然「ここから鈴鹿スカイラインが近の。今から走りに行かない?」と蒼井さんが言うので、少しびっくりした。
蒼井さんと鈴鹿スカイラインを走れるのが楽しみで仕方ない。
青いZと赤いシビックが闇夜へと消えていった。

次回、小説『Zの蒼、夜を駆ける』最終話「交差して別れた糸」はコチラ
「coming soon」
