小説『Zの蒼、夜を駆ける』第2話「赤い夜気」

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小説『Zの蒼、夜を駆ける』第1話「青い流星」
名古屋・覚王山の静かな夜、フェアレディZを駆る蒼井エミリは街を離れ峠道へ。闇の中、赤いシビックタイプRと一瞬だけ交錯し、走りだけで通じ合う。孤独と自由を抱えて走る、彼女の“本当の時間”の始まりの物語。

【第一章:非番の夜】

金曜日の25時。世間は土曜日の午前1時と呼ぶだろう。
中夜勤の俺にとっては、これが一週間の終わりを告げる合図だった。

弥富市の郊外にある物流センター。
昼間はフォークリフトの警告音とトラックのアイドリング音、パレットの擦れる音で満ちているこの倉庫も、夜勤が終われば息をひそめたように静かだ。

鉄骨の隙間から吹き込む風が、倉庫に残る熱気をゆっくりと冷ましていく。

ロッカールームで作業着を脱ぎ、黒いジャケットに袖を通す。

鏡に映る自分の顔を、ちらりと確認する。
黒髪はヘルメットを被っていたので寝癖みたいに少し跳ねる。
濃い茶色の目は、今夜もまだ冴えている。

俺は倉田洋三、22歳。
身長は176センチ、がっしりした体格。
高校ではサッカー部のレギュラーで、1年の時に成り行きではあるが、学級委員長を務めた。
あの頃鍛えた走力と体力は、今は荷物を担ぐ腕と、深夜の峠を駆ける脚に活きている。

「倉田先輩、また走りに行くんすか。」

更衣室の奥から、後輩の畔柳が鼻をこするように出てきた。

「そうだな。」

「金欠金欠って言ってたじゃないですか。先輩、ローンやばいんじゃないすか?」

洋三は痛いところを突かれ、肩をすくめた。

「心配すんな。飯よりこっちに金使ってるだけだ。」

財布の中には千円札が数枚。
弁当をケチってでも、愛車には惜しまない。

「俺はもう帰りますよ。お疲れ様っす。」

型落ちのダイハツ タントの古いテールランプが、駐車場の闇に溶けていった。

駐車場の端に、洋三の“もう一つの顔”が待っていた。
ホンダ シビックタイプR──FL5型。
フレームレッドの塗装は、街灯の下でもまだ血のように鮮烈に光る。

「……やっぱり、いいな。」

洋三は少し離れたところから、車体をじっと見る。

HKSのステッカー、手組みしたエアロ、
足回り、吸排気、インテリア──
タービン以外、ほとんど手を入れた。

少々無茶なチューニングされたVTEC TURBO・K20Cエンジンの最大出力は450馬力。
荒々しさと繊細さを両立する、
“走るためだけの赤い塊”だ。

こんな風にクルマに取り憑かれたのは、ちょうど4年前の18の春だった。

免許を取ったばかりの頃、近所の中古車屋で真っ赤なRX-8を30万で買った。

「安いから」で選んだだけのはずが、
ロータリーの回転の滑らかさとサウンドに、一瞬で夢中になった。

マツダスピードのフルエアロを組んで、
友達に冷やかされながらも夜な夜な河川敷を流した。

だが、ロータリーの現実は甘くなかった。
エンジンの圧縮が落ち、始動できなくなり、修理費も出せず泣く泣く手放した。

その後はレンタカーの軽で、夜の街をただ走り回った。

そんなある日、仕事帰りに見かけた中古車屋に、フレームレッドのシビックタイプR FL5が展示されていた。

中学生の頃からの憧れていたシビックタイプR。その最新モデルだ。
帰り道をUターンして、そのまま店に飛び込んだ。

相場より安かった。理由は過走行だったからだ。
外内装も社外パーツだらけだったが、メンテは行き届いていた。

迷いなんてなかった。
金がなくても、頭金ゼロで、“漢の120回ローン”を組んだ。

それからの生活は、このシビックのためだけにあった。
収入のほとんどを突っ込んだ。
飯代も、部屋も、服も後回し。

工具とパーツ箱が散乱した十畳一間が、今の“自宅”だ。

洋三は、ゆっくりとドアを開ける。
シートに腰を沈めると、背筋がピンと伸びる。

プッシュスタートのボタンを押すと、低く重たい咆哮が夜の駐車場に響いた。

「高速代なんて、今の俺にはもったいねぇ」

財布に目をやり、クスリと笑った。俺のすべては、このシビックに注ぎ込まれている。ならば、道も時間も惜しまない。

目的地は、三重県菰野町──金曜日の昼、冬季通行止めが解除されたばかりの鈴鹿スカイライン。名古屋から少し離れたこの峠は、深夜になるとクルマも少なく、好きなだけ愛機を走らせられる場所だった。

ギアを入れる。
クラッチを繋ぐ。
赤いテールが、深夜のアスファルトに滲む。

【第二章:名四、闇と光の狭間】

国道23号線、通称「名四(めいよん)」。

深夜の名四は、90キロリミッターを効かせながら走行するトラックが多い。

だが、洋三にとっては慣れた道だ。

アウトバーンのような快走路を、シビックの6速マニュアルが小気味よくギアを刻む。

「いい感じだ……足回り、今夜は絶好調だな。」

速度はあえて抑え気味だ。
まだ峠は遠い。

オイル温度、水温、空燃比。
すべてのメーターを目で追いながら、ギアを切り替えるたびに、赤い相棒と短い会話を交わす。

川越町のラウンドワンがある交差点から北勢バイパスに入り、突き当たりを右折し、477バイパスで向かった方が早い。

しかし俺はあえて、非バイパスの国道477号線で鈴鹿スカイラインを目指す。

遠回りでもいい。
コンビニに立ち寄ると決めていた。

道端のファミマの看板が夜気に浮かぶと、俺は迷わずウインカーを出した。

自動ドアの開く音が眠気を追い払う。

レジ横のホットドリンクコーナーで缶コーヒーを一本、モンスターエナジーを一本。
店内のLEDの蛍光灯が目にしみる。

トラックが何台も余裕で駐車できる広い駐車場に戻ると、シビックのボンネットに背中を預ける。

手に持った缶の冷たさが、まだ熱を残す指先に心地いい。

頭上には雲の切れ間もなく、黒い夜空だけが広がっている。

街灯の届かない闇の奥に、これから挑む峠の形がぼんやりと滲んだ。

「……いい夜だ。」

苦い缶コーヒーを一口含んだあと、洋三はボンネットを軽く叩いた。

「さあ、行こうぜ。」

ギアを入れる。
クラッチを繋ぐ。
吉野家を横目に名四を離れ、四日市市街へ。

彼の中には、この時点では何の予感もなかった。
青いフェアレディZ──名も知らぬ“彼女”の存在も、まだ知らない。

【第三章:峠の入り口へ】

四日市市街を過ぎ、菰野町に入る頃には、道はほとんど真っ暗になっていた。
昼間なら渋滞するこの国道も、この時間にはほとんど息をひそめる。

街の残り香のようなネオンが、ルームミラーの奥で少しずつ遠ざかっていく。

フロントガラス越しに、山の影が膨らむのがわかる。遠くの街灯が一つ、二つ、交差点を抜けるたびに途切れ、暗さがじわじわと窓の内側にまで染み込んでくる。

ステアリングを握る左手が、ほんのわずかに汗ばむ。
窓を少しだけ開けると、夜気が頬を撫でていった。

ハイビームに切り替えたヘッドライトの光が、
道端の反射板を順に照らしては、また闇に沈める。

国道477号線──この先は、鈴鹿スカイライン。

やがて標識が現れた。
ヘッドライトに照らされて青白く浮かぶ文字。
「鈴鹿スカイライン入口」の文字を目にすると、洋三の口角がわずかに上がった。

「……ここだ。さて……気合い入れていくか。」

独り言はエンジン音にかき消される。

入り口の信号は赤。夜更けの信号待ちは短い。
シフトノブに手を置いたまま、洋三は小さく息を吐いた。

街で抱えた鬱憤も、倉庫で溜め込んだ疲労も、この先の峠で全部吐き出す。

信号が青に変わる。
右折して小さな橋を越えた瞬間にギアをひとつ落とし、ブリッピングで回転を合わせる。

シビックが目を覚ましたように、再び低く唸りを上げた。

フロントタイヤが小石を拾い、冷たい路面の荒さを通して、峠の“匂い”が指先に伝わってくる。

ライトはハイビーム。
前方のガードレールだけが道を教えてくれる。

ステアリングを切るたびに、背中がシートに沈む。
緩い右コーナーを抜けると、また闇が戻ってくる。

洋三の中で何かが切り替わる。
街では味わえない、静かな高揚が胸を叩く。

鈴鹿スカイライン。
深夜、ほとんど誰も来ない。
この道は、誰にも邪魔されない自分だけのコースだ。

「……よし。」

小さく呟いて、ギアを2速まで落とす。

タービンの低い吸気音が、ルームミラーの奥に残る伊勢平野の灯りを飲み込む。

まだ洋三は、まだ知らなかった。
数分後、俺の胸を撃つ“青い光”が、この闇の先で息を潜めていることを。

【第四章:青い閃光】

希望荘という、地元では古くから知られた旅館を通り過ぎる。
あの石の看板が残り香を拾って、かすかに光った。

時刻はもう深夜2時を回っている。
普通なら誰もいない。
眠れないサラリーマンも、コンビニで時間を潰す若者も、
こんなところまで来ない。

シビックのヘッドライトだけが道を切り裂く。
ガードレールに当たった光が波打って流れ、すぐに闇に溶けていく。

タコメーターの針が一定の角度で張り付いている。
タービンが冷たい夜気を吸い込み、独特の低い吸気音が鼓膜に心地よい。

「……悪くない。」

このコンディションなら、攻めることもできる。
そう思った瞬間、前方に――

わずかに、青い光が灯った。

「……ん?」

洋三は眉をひそめ、アクセルを一度だけ抜いた。

山の闇に吸い込まれそうなほど、
深くて、滲んだようなテールランプの輝き。
この時間、この峠で、こんな場所に。

街灯がまばらな道に浮かんだそのラインは、まるで夜の底を滑る流れ星みたいだった。

距離はまだある。
けれど、その一瞬で
洋三の右足は自然と力を取り戻していた。

「フェアレディZ……だな。……しかも最新型のRZ34か。」

ヘッドライトに映ったリアの曲線は、間違いようがなかった。

ただ“速いクルマ”じゃない。
あの走りの奥にあるものを、見てみたい。

右足が踏み込まれる。
タコメーターの針が跳ね上がる。

前を行くZとの距離が、少しずつ縮まっていく。

街で煽り合う連中とは違う。
峠の走りは、ただのスピードじゃない。

ライン、ブレーキング、路面の癖。
すべてを感じ取り、すべてを繋ぐ。

前のZは、確かに攻めていた。

だが、粗さはどこにもなかった。
タイヤの鳴き方すら抑えている。
わずかに踏みすぎると、リアがすぐに逃げるはずのタイトコーナーでも、
Zは無理なく収まっていた。

「……うまい……女か?」

一瞬見えた横顔が、そう思わせ、走りのリズムにどこか柔らかさがあった。

並ぶ気はなかった。
抜く気もない。
ただ、その走りの“呼吸”を盗みたかった。

Zが左に寄る気配はない。
挑発するわけでもなく、譲るわけでもない。
むしろ、背中で「ついて来い」と言っているように思えた。

数コーナー、呼吸を合わせる。
ギアを落とす。
タービンが唸る。
吸気が深くなる。

エンジンブレーキのタイミングを一致させる。
Zのブレーキランプが光る一瞬前に、自分も減速を始める。

「……っしゃ……!」

洋三の口元が、かすかに笑う。

深夜の峠の山肌が、ヘッドライトに照らされては消えていく。

視界の奥に浮かぶZのリアは、夜の空気を切り裂く青い刃だった。

だが、その“刃”が、一瞬だけ呼吸を変えた。

次のタイトコーナーの手前で、Zのリアがわずかにブレたかと思った瞬間、鋭く姿勢を整えて、空気を切り替えた。

踏み込みが強くなった――のではない。
何かが解放されたように、Zは加速した。

「……!」

洋三の目が見開く。

ブレーキングポイントが違う。
ライン取りが、わずかに鋭い。

同じマシンでは、ただのパワーじゃ届かない“何か”。

タイヤが鳴る。
洋三はアクセルを戻し、ブレーキを踏み足す。

その瞬間――
Zのテールランプが、夜の向こうへ溶けた。

いや、溶けたように“見えた”だけだ。
実際には、ラインの差とタイミングが全てを決めた。

「……はぁ……やられた……」

呟きは、ハンドルに預けた指先に吸い込まれた。

たった数キロの短い時間。
けれど、自分の腕と心をまるごと試された気がした。

Zのテールランプは、もう前方の闇に溶けていた。

残ったのは、胸の奥でまだ熱を持つ
“青い閃光”の余韻だけだった。

【第五章:静寂の中で】

「……無理だ。こいつ、次元が違う。」

そう悟った瞬間、洋三の右足から、力がすっと抜けた。

シビックのタコメーターが、夜の闇に合わせるように針を下げる。
エンジンの熱がまだ息をしているのが分かる。

だが、フロントガラスの先に、もうZのリアはどこにもいなかった。

呼吸を落とすように、洋三はゆっくりとハンドルを切った。

ブレーキを踏み込むと、タイヤがわずかにアスファルトを噛む音がした。

鈴鹿スカイライン、標高700メートル付近のコーナーに並ぶ駐車場にシビックを停め、エンジンをアイドルに保ったまま、洋三は窓を開けた。 

夜の冷たい空気が、一気に頬を撫でた。

熱かった首筋が、ひんやりと冷めていく。

シビックのボンネットから立ち上る、
わずかな金属の匂い。
ブレーキローターの焼ける匂い。
その全部が、まださっきまでの“勝負”を思い出させる。

外は静かだった。

山の風が小さな枝を揺らす音。
遠くで虫が鳴いている。
それだけだった。

洋三は、ルームミラーを見た。
映るのは自分の目だけだ。

「……くそ……誰だよ、あのZ……。」

吐き出すように呟いた言葉は、
窓の外に滲んでいった。

ただ速いだけじゃない。

あの走りは、何かを引き込む。
自分を試すみたいに、呼吸を奪っていく。

パワーの数字だけじゃ届かない。
コーナーの先で呼吸を合わせようとしても、
空気ごと向こうに持っていかれる。

「女……だと思う。……多分、間違いねぇ。」

シルエットだけだ。
フロントガラス越しに見えたのは、
背中のラインと、ほんの一瞬の首の動き。

だが、あれだけの走りができる人間は、
どんな顔をしてるんだろう。

何を考えて、あんなに静かに速くいられるんだろう。

洋三はハンドルに両手を置いたまま、
シートに深く背中を預けた。

あれだけの短い時間。
たった数コーナー。

それだけで、このシビックに詰め込んできた4年分の自分が、あっさり置いて行かれた。

だが、負けっぱなしは性に合わない。

「……また、走りてぇな。」

小さく、夜に滲む声で言った。

こんな時間に、峠で誰とも言葉を交わさずに、ただ走りで“会話”をする。

洋三の中で、それは一番大事な時間だった。

名前も知らない、顔もわからない。
だけど、同じ夜の空気を切り裂いたあのZのことは、忘れられない。

「……負けねぇからな。」

声に出した瞬間、自分でも笑ってしまった。

クラッチに左足を置く。
ギアをゆっくりと入れる。
シフトノブの冷たさが、指先に気持ちいい。

峠の下りは、もう攻めない。
今日の夜は終わりだ。

けれど、終わりじゃない。
また走る。
必ずどこかで、あのZと。

赤いシビックが、深い夜の中で再び咆哮をあげる。

山の静寂を破る低い排気音が、洋三の胸の奥の熱と同じリズムで鳴っていた。

テールランプが、夜の峠にゆっくりと溶けていく。

愛知に戻るまでの道は、俺にとって、また新しい始まりだった。

次回、小説『Zの蒼、夜を駆ける』第3話「蒼きZとの再会」はコチラ

「coming soon」

この記事の執筆者

フェアレディZオーナーによるクルマとおでかけ情報を発信するブログ・YouTubeチャンネルを運営をしています。常に新しいコトを探究。
伊勢湾沿いを中心に活動しています。
趣味はドライブとクルマ。
日産フェアレディZ RZ34オーナーの元Z34オーナー。
プリンと生ハムが好きです( ^ω^ )🍮

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