小説『Zの蒼、夜を駆ける』第5話「伝説のブラックバード」

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小説『Zの蒼、夜を駆ける』第4話「ドキドキデート!?」
赤いシビックの倉田洋三は、憧れのZ乗りの彼女と知多半島をドライブデート!?へ。海沿いの道、チッタナポリでの撮影、海鮮丼と買い物を通じて、走りだけではない距離が少しずつ縮まっていく。

第1話はコチラ

小説『Zの蒼、夜を駆ける』第1話「青い流星」
名古屋・覚王山の静かな夜、フェアレディZを駆る蒼井エミリは街を離れ峠道へ。闇の中、赤いシビックタイプRと一瞬だけ交錯し、走りだけで通じ合う。孤独と自由を抱えて走る、彼女の“本当の時間”の始まりの物語。

【第一章:秘密の犬山行き】

「やっぱりZくんで行くべきだよね。」

朝のガレージは、まだ少しだけ冷たいコンクリートの匂いが残っていた。

私は息をひそめるようにリモコンキーを握りしめる。

覚王山に佇む築浅のデザイナーズマンションの一角にある私専用のガレージ。

シャッターがゆっくりと上がり始めると、外の光が徐々に青いボンネットを撫でていく。

セイランブルーの日産フェアレディZ RZ34。
青く深く光を吸い込んで、また跳ね返すその姿に、
私はいつも心を奪われる。

今日は友人たちと犬山城下町巡りの約束がある。

でも、リアルの知り合いで倉田くん以外は誰も知らない、知られたくもない。
私がこの青いZに乗っていることを。

理由はうまく説明できない。 

だけど、この青いZを知った誰かに、余計なラベルを貼られたくなかった。

「速いクルマに乗る女の子」
「危なそうな子」
「男みたい」
──誰にもそんな風に思われたくない。

だから私は、友達の前では“ただの普通の女子”でいる。

Zくんのドアを開けてブリッドのシートに沈むと、いつもとは違う服の生地がシートに擦れる音がした。

普段はシンプルなジャケットとシャツとパンツばかりなのに、今日はジャズドで購入した、ゆるふわ系の白い花柄のワンピース。

「似合わないな……。」

小さく笑って、シートベルトを締める。

プッシュスタートを押すと、VR30DDTTのエンジンが低く息を吹き返した。

社外マフラーの重い低音が、ガレージのコンクリートに反響する。

「今日もよろしくね、Zくん。」

アクセルを軽く踏むたびに、Zくんのボディが応えるように揺れた。

名鉄犬山駅近くの、駅から少し離れた平面駐車場。

なるべく端の区画に停めて、誰にもZの存在が見つからないようにそっとエンジンを止めた。

「お利口さんにしててね。」まるで小さな子供に言い聞かせるみたいに言う。

自分にしか届かない小さな声をかけて、私はハンドバッグを持ってタクシーに乗り込んだ。

今日私は“普段ラパンに乗ってそうな普通の女子”を演じる。

犬山城に先に着いていた友人に、「電車で来た」と軽く嘘をつく。

秘密を守るための小さな嘘。
でも、Zくんだけは知っている。

けれど、心の奥にあるVR30DDTTのエンジン音が、ずっと小さく響いていた。

【第二章:夕暮れの再始動】

私たちは記念写真を何枚か撮って、小さな甘味処でかき氷を食べた。

犬山城の石垣は、日が傾くと影の色を深くしていく。

午後5時半。
現地解散を言い出したのは私だ。

「じゃあね!また遊ぼう!」

手を振りながら、心の中では早くZくんの元に戻りたくて仕方なかった。

別れ際に交わす笑顔。
お互いにスマホで撮った何枚かの写真。
土産物屋で買った小さな犬山焼の箸置き。

どれもが穏やかな休日の証拠。

でも、頭のどこかでずっと別のリズムが鳴っていた。

友人と別れてから、タクシーを拾い名鉄犬山駅前に着くまでのわずかな時間。
心臓の鼓動が少しずつ速くなるのを感じる。

昼間の喧騒とは裏腹に、
駅裏の平面駐車場はすっかり影の色を濃くしていた。

「ただいま、Zくん。」

端の区画に停めたZが、夕暮れの残光に青く光っていた。

近づくと、ほんの少しだけZくんが息をしているような気がした。

ボディに手を添えると、塗装の冷たさが指先に戻ってくる。

ドアを開け、ステアリングを握る。

誰の前でも見せない私だけの“顔”が戻ってくる。

バッグを助手席に放り投げると、小さなため息が洩れた。

プッシュスタートを押すとVR30DDTTのツインターボエンジンが低く目を覚ました。

昼間の犬山の賑わいは遠いはるか昔のように感じられた。

Zくんの心臓の鼓動が、私の中のスイッチを静かに押し込む。

「さあ、帰ろっか。」

アクセルに触れる右足の裏が、心臓と繋がっている。

まだアイドリングが落ち着かない間に、バニティミラーを使いリップを塗り直す。

唇の輪郭をなぞるたび、昼間の“演じた私”が剥がれていく気がした。

(もう大丈夫。)

国道41号線へ向かってゆっくりとアクセルを踏む。

青いZくんのボディが、犬山の街灯をひとつひとつ撫でていく。

国道41号線を南へと下る。

夕焼けがバックミラーに映る頃、小牧北インターの入り口が見えた。

私は左から4番目のレーンで信号を待ち、そのまま名古屋高速11号小牧線へと滑り込んだ。

街の灯りが、だんだんと流れていった。

【第三章:黒い閃光】

日曜日の夕方遅く。
なのに名古屋高速11号小牧線は、妙に空いていた。

普段なら、仕事帰りのハイエースや行楽帰りのミニバンが、渋滞を作るはずの時間。

けれど今日は違った。

Zくんのタイヤがアスファルトを撫でる音だけが、反響する。

(……こんなに空いてるなんて。)

アクセルを軽く踏み込むと、VR30DDTTの低音が心地よく響いた。

ここから1号楠線を経由して、都心環状線へ抜けるのがいつものルート。

吹上東インターまで、あと10分もあれば着いてしまう。

それでいいはずだった。

Zくんの中で、私の“普通の休日”は、静かに終わるはずだった。

けれど、その“普通”は一瞬で壊れた。

──サイドミラーに、黒い影。

(ん……?)

視界の端で、その存在は、まるで溶けるように迫ってきた。

次の瞬間、ミラーの中の闇がヘッドライトの閃光と共に一気に膨らむ。

「……っ!」

息を呑む間もなく、青いZの横を、黒い何かが滑り抜けた。

耳に残るのは、獣の咆哮のような空冷ターボの唸り。

見覚えのあるリアフェンダーライン。
特徴的なテールランプが赤い残像を残す。

930型ポルシェ911ターボ。

「まさか……ブラックバード……?」

そう。名古屋高速11号小牧線には、とてつもなく速いポルシェがいるという噂。
誰もが「都市伝説」と笑うその存在が、今、目の前にいた。

実在しないと思っていた“影”が、今、私の前を走っている。

リアが揺れる。
路面に吸い付くようにブラックバードは伸びる。

Zくんの中で、私の鼓動が暴れだす。

「……嘘でしょ……。」

アクセルに乗せていた右足に、力がこもる。

ギアを2速に入れて一気にアクセルを踏み込む。

シートが背中を押し返す感触と一緒に、Zくんが低く吠えた。

「逃がさない……!」

走りたいだけじゃない。

あの背中に追いつきたい。

都市伝説に、私のZくんで挑む。

まだアクセルは残っている。

インパネのインジゲーターが、深い赤に染まる。

心臓とタービンの鼓動が、同じ速さで刻まれた。

Zくんのステアリングを握る手に、汗が滲む。

(負けない。)

VR30DDTTの唸りが、私の胸の奥をさらに深く震わせた。

ブラックバードのリアが、遠くの赤い点滅に見える。

「追うよ、Zくん……!」

闇を裂く青と黒の閃光が、名古屋高速を駆けていった。

【第四章:追いつけぬ背中】

直線で差を縮めるはずだった。

だけど、ブラックバードは、まるで地面と一体化したみたいに小牧線を滑っていった。

アクセルを踏み込む。

ターボの過給音が一瞬で車内を満たす。

Zくんのシートが背中を強く押し返す。

(まだ、まだ……!)

日没の名古屋高速は、いつもよりも市街地の光が淡く見えた。

前方の標識が迫る。

「楠ジャンクション──。」

本来ならばここで都心環状方面へ直進し、次の丸田町ジャンクションで2号東山線に入って吹上東インターへ向かう。

私は、そうするつもりだった。

予定通りに、ただまっすぐ家に帰るだけ──そのはずだった。

だけど、あの黒いポルシェを見失いたくない。
気づけば、私は思考よりも先にアクセルを深く踏み込んでいた。

かろうじて分岐を真っ直ぐに向かう姿を捉えたので、私も追従して直進する。

タービンの息づかいが、鼓膜に響いていた。

前を走るブラックバードのリアが、わずかに揺れた。

追い越し車線から覗く漆黒のボディラインが、街灯を一瞬だけ反射する。

その一瞬が、私を突き動かす。

「逃がさない……!」

吐き捨てるように言葉が漏れた。

名古屋の街を貫くこの道路は、昼間はただの移動手段。

でも今は違う。

私のZくんが、生き物のように加速していく。

料金所の青白い光が遠くに滲む。

「届いて……!」

ミラーに映る背後は空っぽ。

前にしか意識が向かない。

──でも、届かない。

料金所が近づくと、ブラックバードはさらに速度を上げた。

まるで羽根が生えたみたいに、路面からふわりと浮かぶように。

「……何……あれ。」

Zくんのエンジン音が、追いすがる私を励ますように低い防音壁に反響する。

ブレーキにそっと足を乗せる。

料金所のETCレーンのバーが開き、私は一瞬だけ前を見上げた。

ブラックバードは、遥か先の闇に溶けていた。

(嘘でしょ。信じられない……あんな走り……。)

1号楠線の直線を抜けながら、私は無意識に口の中で呟いていた。

「追いつきたい……。」

でも、あの背中はもう幻だった。

私のZの心臓だけが、まだ追いかけようと息を荒くしていた。

【第五章:道を見失って】

(……あれ?)

声にならない独り言が、シートに沈んだ私の背中に小さく跳ね返った。

いつもなら絶対に間違えない分岐だった。

丸田町ジャンクション。

左に逸れれば、あと10分で覚王山の自宅マンションに帰れる。

でも、ハンドルを切らなかった。

いや──切れなかった。

気づいたときには、都心環状線のネオンがZくんのボンネットを照らしていた。

「……何やってんの、私。」

しかも、うっかり速度自動取締装置の手前で慌てて急ブレーキ。
「はぁ……なにやってんだか」

Zくんの足回りが路面を強く掴む感触がシートの背中に伝わる。

夜の名古屋高速の空気は、冷たいはずなのに熱かった。

急ブレーキの後、少し息を吐く。

「はぁ……。」

ブラックバードを追っていた時の胸の奥の熱が、まだくすぶっている。

あの背中を追わなければ、丸田町ジャンクションは間違えなかった。

なのに、どこかで、間違えてよかったと思っている自分がいる。

(……馬鹿みたい。)

鶴舞南ジャンクションの案内が近づく。

左分岐の矢印に従って、緩やかにステアリングを切る。

3号大高線へ下ると、名古屋の街の灯りがゆっくりと遠ざかっていく。

遠ざかるはずの街に、何かを置き忘れた気がした。

アクセルを少し踏み直す。

Zくんのフロントが、また前を向く。

複雑怪奇な名古屋南ジャンクションの入り組んだ分岐を目で追いながら、私は無意識に進路を選んでいた。

(……帰りたくないのかもね。)

伊勢湾岸道、四日市方面の標識を標準に合わせてステアリングをもう一度握り直した。

隣の車線を流れていくトラックのテールランプがどこか無機質に見えた。

「いいよ、Zくん。……もう少しだけ、走ろうか。」

胸の奥に残るブラックバードの残像を追いかけるように。

夜の伊勢湾岸道の風が、Zくんの窓越しに私の髪を揺らした。

【第六章:悔しさと向き合う場所】

名港中央インターの料金所を抜けると、名古屋の街の喧騒は一気に背中へ遠ざかった。

港湾エリア特有の、潮の匂い混じりの生ぬるい風が少しだけ開けた窓から車内に忍び込む。

夜の金城埠頭は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだ。

倉庫の照明が遠くでちらつき、港湾用の街灯が道の端を淡く照らす。

Zくんのエンジンを低く唸らせながら、私はゆっくりと埠頭の奥へと進んだ。

埠頭の突端に近い岸壁の前でアクセルを放すと、Zくんは静かに滑るように停まった。

「……着いた。」

シートベルトを外す手が、まだ少しだけ汗ばんでいた。

エンジンを切ると、車内を満たしていた機械の鼓動がすっと消える。

静寂。

ドアを開け降り立つ。

潮風が花柄のワンピースの裾をふわりと揺らした。

目の前に広がるのは白くライトアップされた名港中央大橋。

鋼のアーチが夜空を切り裂くように、海面に映る光が波に揺れていた。

あの黒いポルシェ──ブラックバード。

都市伝説のように囁かれてきた影は、確かにこの街にいた。

しかも、自分の目の前に現れて、自慢のZくんをあっさりと置き去りにしていった。

(……追いつけなかった。)

リアルに思い返すと、悔しさが胃の奥で小さく渦を巻いた。

もう少しだったとか、次は負けないとか、そんな簡単な言葉で誤魔化せる相手じゃなかった。

背中すら掴めなかった。

異次元の速さだった。

でも。

あのポルシェのテールランプを必死に追ったあの数分だけは、私のすべてが“走り”に戻っていた。

誰に見せるわけでもない、誰と競うわけでもない、“私だけの時間”を取り戻すように。

それが悔しくて、だけど嬉しかった。

「Zくん。」

ボンネットに手を置くと、まだほんのりと熱が残っている。

静かに、その熱を掌に移すように撫でた。

「……次に会ったら、絶対に負けない。」

風がひときわ強く吹いて、
髪が頬に張り付いた。

Zくんは何も答えないけれど、その青いボディは私の胸の奥の火をまた少しだけ強くしてくれた。

名港中央大橋の灯りがゆらりと瞬いている。

街の奥では、誰かの夜が続いている。

でも、この埠頭では、私とZだけが小さな約束を交わしていた。

「帰ろうか。」

もう一度、ボンネットを撫でて運転席に戻る。

Zのドアを閉める音が、金城埠頭の夜に響き渡っていった。

次回、小説『Zの蒼、夜を駆ける』第6話「同名異地、鈴鹿での再戦」はコチラ

「coming soon」

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